来年に向けての抱負
今年は社会的にもいろいろな事件が起こった。その中でもJR西日本の事故、相次ぐ幼女殺人事件、耐震偽装問題など、社会の基本構造に何か問題が起きているのではないかと思うようなくらい事件が多かった。
昨日「怒り」をテーマにしていた番組が行われていた。「怒り」は大きな力を生む源である。どんな時代にも革命というものは民衆の怒りが源泉になっていた。日本のいけないところはテレビで怒っているコメンテーターも番組が終了すれば、その怒りを実践に移すことなく、実行を最後人任せにしてしまうところだ。最後自分で責任を取ってでも「怒り」を実行しようという覚悟がなければそれは単なる文句で終わってしまう。私はコメンテーターではない。いまや政治家である。その私の来年のテーマは、自らがその責任を負って多くの人の「怒り」を実行に移していきたいということである。
日本の政治や行政はひどかった。一部の利権のために、国の未来という大きなものを見失ってきた。しかし、この国に降り積もった膨大な借金の責任は誰も取らない。ほとんど働かずに税金から年間数千万円を受領してきた天下り官僚や現役官僚がいるのも事実である。こういう人たちは私は決して許さない。私は内部も見てきた。税金を無駄遣いするシステム、人は必ず徹底的に失くしていく。それでも、偉かった「先輩たち」の責任は追及されない。年金問題もしかりである。政治家も官僚も銀行員も、「今」の人たちは基本的に昔とはぜんぜん違う。問題なのはバブル時期に踊った「先輩たち」なのである。私たちはこれら「偉かった」人たちのつけを払っていかなくてはならない。単につけを払うだけではなく、こういう「偉かった」人たちにもつけをきっちり返してもらわなくてはならない。その手立ても考えていきたい。
性犯罪はこの国の恥部である。海外に行っても日本は性犯罪大国であると思っている人がたくさんいる。こういう衝撃的なニュースは実は海外でこそ取り上げられてしまうからだ。私が司法試験で刑事政策を勉強していた10年前から性犯罪と精神犯罪の高い再犯率は問題になっていた。これを放置し続け、結果として悲惨な事件がこの10年間どれだけ起きてしまったことか。私は性犯罪者は宦官にすべきであると思っているが、それが憲法に反するとすれば、少なくともホルモンを打ち込むなど生理的な処置法が必要である。子供は国の宝である。幼児の誘拐殺人に性的要素が絡むときは死刑または無期懲役にすべきである。「法体系がおかしくなる」という学者や官僚の尤もらしい弁解はもはや不要である。議員立法でも取り組んでいきたい。
飲酒運転による悲惨な事件が重罰化にもかかわらず止まらなかった。飲酒運転によるひき逃げは重大な殺人である。子供たちの列につっこんだ宮城の事件など複数の人が死亡した場合には死刑の適用があってもいいのではないかと思う。
他方、私は「心」をテーマにしたい。「夢」をテーマにしたい。どんなに厳罰を下しても社会が根本的に変質していることは変えられない。むしろ、家族や教育を土台とした価値観そのものの劣化こそ問題なのである。10年前の司法修習のときですら、犯罪を犯した少年たちのあまりに悲惨な家族関係に涙したことがある。犯罪に至るしかない環境に育つ場合が多いのだ。最近の事件でも、家庭内で虐待を受けている子供たちの多さに唖然とする。少子化の中で親になる資格のない親が増え続けているという別の深刻な問題があるのだ。
私は庶民である。守るべき既得権は何もない。
私は弁護士である。法体系を盾に詭弁を弄する輩は私には通用しない。
私は官庁経験者である。どんなごまかし全てお見通しである。
私は国際人である。日本の中で通用する常識も世界では通用しないことがあることを知っている。
私は来年親になる。子供たちの未来を守ることが私たちの勤めであると信じている。
私は日本人である。この国の歴史、文化、自然、そして人を守り、発展させ、未来に引き継ぐこと、そのためにこの小さな人生を捧げたい。
<< 2005年という年 | 謹賀新年 >>









