二大政党制
自民党と民主党の違いは何であろうか?従来の55年体制と言われた自民党と社会党の違いは比較的明白であった。しかし、今は政策的に自民党と民主党の違いを言える人は少ないのではないだろうか?実は今日一日大変ありがたい自民党支持者の方とお会いした。そのときに改めてその違いについて国民の皆様にご理解いただかなくてはと思ったしだいである。
政治家になってみるとつくづく違うと思う点がいくつかある。まず、民主党はある統一的な政策や理念に基づく「政党」ではない。自民党は嫌だという人の集合体なのである。安全保障政策はその最たるものであり、教育基本法などでもそうである。おそらく今のままでは「本気」の対案というのは難しいだろう。テレビでは映らない国会内の手続き交渉などでは実におかしなことが多いようである。次に、固定的な支持者が違う。基本的には民主党は労働組合や日教組などの方が中心である。さらに、民主党にはやっぱり社会主義的な思想の方が多い。自民党はやっぱり自由主義的な思想である。
ただ、実は民主党にはとにかく政治家になりたくて、自民党では出られなかったのでという人も多い。私にも古い腐敗体質を壊すという共通の思いを抱いていた民主党の友人もいる。したがって、結局は「政治家個人」が重要であると思う。しかし、そういう崇高な思いを抱いている人であればあるほど「古い」自民党(亀井氏など)と選挙のためだということでくっつこうとし、また公務員改革では最大の抵抗勢力となる国公労や自公労など組まざるを得ない今の民主党の状況に悩んでいるようだ。
私は基本的には自由主義である。努力した人は報われるというのが正しい姿だと思う。規制でがんじがらめにされた昔の状況は規制当局の既得権と腐敗を生んだし、新しいチャレンジを妨げた。近年、規制を緩めすぎだという意見がある。確かに、一部の業界での規制緩和や専門職の過剰が良い競争を生んでいないのは事実である。日本の良き伝統や文化を壊している面もある。中小企業や「街」、地域コミュニティーの破壊などは典型例である。しかし、努力をした結果成功した人を「妬む」のではなく、「称える」という風潮がないと、人は努力をしなくなる。さらには、事業承継などの相続の面は再考の必要があろう。人々の努力を促して経済成長をさせる仕組みにしなければ、そもそも税収も伸びないし、社会保障などもありえなくなるのだ。一部の政党の主張はそういう現実的な経済観念が完全に抜け落ちている。昭和に多く誕生した革新自治が、多くの借金を残して、自分たちだけはたんまり退職金を受け取って、結局大失敗に終わったという「学び」を忘れてしまったのだろうか。
他方、単なる自由主義はだめである。たとえば、アメリカのあまりの人種や社会格差は相当いびつな面がある。今の銀行は大変な利益を上げたが、それは国民全体で支えたからであって、この利益をペンディングになっている役員の退職慰労金や給料値上げにつなげてはならず、社会に還元すべきであろう。しかし、金持ちから税を沢山とってそれを貧しい人にばらまけばいい、という一部の極端な風潮は結局日本を滅ぼすだろう。日本にそんな時代はなかった。
さらに私は基本的に「日本主義」である。日本には日本の歴史があり、文化があり、自然があり、人がある。国際社会の中でのバランス感覚は今の政治家には欠かせない必要な要素だと思うが、他方で外国に「迎合」する必要はない。ヨーロッパの高い社会保障制度のいい面だけを見て、日本もああいうようにしろという人がいるが、あまりに高い税負担で社会が窮屈な面があるし、そもそも比較する国々との人口が違いすぎて現実離れしている。私は、親や先輩方々には「孝」の精神をもって、仕事では「忠」の精神をもって、仮に金銭的には貧しくても精神は豊かである、といったような、全てをお金で図るのではない、心や精神の国が理想である。もちろん、一定の金銭がなければ生活が成り立たないだろうし、特に子ども、障害者、高齢者などの自分ではどうしようもない「弱者」や犯罪の被害者などに対する「優しい心」は金銭的な面も含めて必要である。そういう面は、強制的に「金持ち」から税という形でむしるのではなく、優しさを寄附という形で表せるような税制を促すことで作っていくのが正しい姿なのではないだろうか。
長くなった。今日は一日地元であった。お祭りという「文化」も体験した。日本は良い国である。そして世界の中でも誇りを持てる国にしていきたい。
<< 社会保障制度の行方 | 与野駅で朝のご挨拶 >>









