無党派層の嘆き

2006年12月30日 23:25 | ブログ

今日は地元活動の後、高校の同窓会に参加した。実にこれだけみんないろいろな進路に進んでいるなあと思うくらいバラエティーに富んでいて、また政治的なことにも関心が高く、「日本の経済水準を今後中国やインド等が台頭する中でどうやって保っていくつもりなのか?」「結局何をやりたくて政治家をやっているのか?」などという質問を次々に受けた。無論、全てきちんと答えたつもりだ。

その中で一人の友人が言ったことでそうだなあと思ったのは、「結局無党派層からすると入れたいと思う政党が今はない」という言葉である。小泉内閣の郵政解散によって「これだ!」と信じた多くの無党派層の国民は、復党によって裏切られたと感じ、やっぱり自民党はだめだ、という感想を抱いたという結果が世論調査でも出ている。実は、これは自民党だけではなく、おそらく経済や政治の実際を知っている人からすれば民主党は全く任せるに足りないから民主党もだめだと思っている。

すなわち、国民の大部分を占めるいわゆる無党派層からすると、真に信頼して任せることのできる「政治」を追い求めているが、それがない、というのが現状なのだろう。日本新党やさきがけはそれに近い期待を国民に抱かせたが、それはまぼろしであったことが今振り返ってみるとよく分かる。なぜ、蜃気楼のように消えてしまったか。それは結局人気にあやかろうとしただけの存在であり、強固な統一的な政治理念や思想がなかったからであろう。今の民主党もそれに近く、「反自民」の寄せ集め集団に過ぎず、政策はその場しのぎのものにすぎない。だからいずれ分裂するだろう。

自民党は、いわゆる政権政党として政治的理念も思想もはっきりしている。無論、友党の公明党や共産党、社民党もはっきりしている。その意味では「政党」である。しかし、自民党には、長い間の政権担当により、利権を配ることを「政治理念」と勘違いをしてしまった人が多くなった。国民は小泉総理誕生前、そういう自民党に対して「No」を突きつけていた。これは何も保守的な政治理念や思想に対する「No」ではない。それを壊して何よりも「国の未来」を優先する小泉総理の考えに多くの人が支持を与えた。日本の政治が始まって以来の清潔な内閣が小泉内閣である。

清潔さという点では安倍内閣も劣っていない。しかし、党の方で、「国」よりも「利権」を優先する従来型の議員の姿が目につき始めたことは否めない。それは、小沢民主党が露骨に利権を振りかざす戦法に出ていることも一因であるが、そうしたことにより、無党派層の国民が政治に再びそっぽを向き始めたのであろう。

私は日本という国に対してはその歴史、文化、自然、そして人のあり方について「日本的」なものを愛するという意味で「保守」である。先人の経験と知恵を尊敬し、わが国の道徳や倫理を重んじる。しかし、政治を目先の利権で誘導する考えには反対である。それは、業界に配慮しないということではなく、国際社会やそこでの動き、歴史の流れ、国内の長期的な展望などを配慮しつつ、みんなが長い目で見れば幸せになるという大きな視点から考えなければならない。弱い業界であれば足腰を強くすることを、中小企業が不当な圧力を受けているのであれば、その原因を除去しつつ強い体質に変えて行くことを考えなければならない。そうした展望もないままに、補助金という名目でお金を配ることは結局痛み止めの注射を打つにすぎず、かえって長期的には当該産業を衰退させ、打った注射代はすべて未来の世代の負担という形で跳ね返ってしまう。

今の社会は複雑である。この回答を出していくに絶対に必要な要件は国際的な経験・知識、歴史的な知識、最先端分野への理解力、経済・金融知識、個別分野の専門知識、そして弱者と言われる者たちの現状認識、国際社会や日本の権力構造の理解とその意思決定メカニズムへの深い造詣、そして政治家としては公のために「私心」を犠牲にして命を賭ける覚悟である。最後の要素を除いては一人の政治家がすべてを背負う必要はなく、チームでもいい。そうしたすべてが揃ったチームとしての政党があれば(無党派層の)国民は諸手を挙げて支持するのではないか。

私が政治の世界に作って行きたいものはそういう政治である。


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