人類が向かう先は?今から帰国します
これから空港に向かうところです。6泊8日でしたが、非常に長く感じました。子供が生まれてからこんなに離れたこともなく、久々に会って覚えているだろうか?なんて変な不安も感じます。
これから私たち人類が向かう先はどこでしょうか?日本はその中でどういう目標を打ち立てていくべきでしょうか?このことをずっと考え続けました。
人間には生存本能があります。そのために子孫を残し、食べ物を食べ、寝るという本能が付随します。したがって、基本的には食べ物に困らず、寝るところに困らず、未来を託す家族がいることが「満足=幸せ」につながるはずです。これは人間である限り世界共通だと思います。
しかし、単に寝るだけではなくより良いところで、単に食べるだけではなくより美味しいものを、そして単に子供を作るだけではなくより良い待遇を、さらにはそれらを得るためにより多くのお金を、という更なる欲を生じ、名誉欲や出世欲、物欲、虚栄心など、豊かになればなるほどまた新しいものが欲しくなってきました。
戦争やバブルは歴史的に繰り返されました。人間は、多分留まることを知りません。少しずつ賢くはなっていきますが、違う形で同じ過ちを繰り返してきた歴史を見ると、同じサイクルをこれからも繰り返す可能性が高いといえます。
しかも、特に先進国では「子供を欲しくない」、あるいは自殺といった、生存本能自体に及ぶ変化が生じています。未来を託すべき自分の子供を虐待する児童虐待の増加なども異常な事態です。
昨日はやや表層的な地殻変動に触れましたが、やや根本的に人類そのものに大きな変化が起きつつあるような気がします。
民主主義は、独裁者の個人的欲望を満たすために繰り返された悲劇を防ぐ人類の知恵だといえます。ただ、それは欲望を防ぐのではなく、国民全員の生存本能や欲望を最大限に満たすためのシステムです。そして、昔のように食と住(基本的生存本能)の保障が政治の役割だった貧しい時代と違って、発達かつ複雑・多様化した欲望を満たすのは大変な役割です。ほとんどすべての民主主義国家で、「政治家はだめだ」「政治は何もしてくれない」「だめなリーダーだ」という諦めが広がっているのはそんな根本的なことのような気がします。
あるアメリカ人に言われました、「日本とアメリカを比較したとき一点だけ確実なのは、日本の政治の方がいいってことだよ」と。どこの国の人に聞いても、だいたいそのように答えます。
民主主義というシステムそのものが人類の変化によって壁にぶちあたりつつあるのではないでしょうか?中国や一部の国は独裁的体制や情報統制を敷くことによって、多様な欲望を抑え、あるいは欲望自体が多様化することを防ごうとしていますが、必ず限界がくるでしょう。
じゃあどのような制度がこれからの時代にふさわしいのか?方法は今のところ一つしか思いつきません。それは、民主主義というシステムの中で、あるときは人々の多様な本能や欲望を満たし、あるときはその発展を抑え、ときには戻すことのできる強力なリーダーを生むことです。そのためには国民が直接選び、一定期間リーダーシップを発揮できる期間を保障するシステムの方がベターだと思います。
そして、リーダー自体が人々より欲望が強かったり、欲望を満たしていたりという状況ではだめです。欲望の発展を抑えることができなくなるからです。新しい時代のリーダーには、あくまで人々の本能と欲望を自分よりも優先することへの信頼が必要です。厳しい禁欲性が求められます。それが新しい民主主義の姿だと思います。
少し哲学的になりました。ブログでは限界があるので、昨日、そして本日書いたことも含めて、少しじっくりと世界(人類)が、日本が、どうすべきかということを自分なりにまとめようと思っています。そして、自分自身どこまでできるのかも考えたいと思っています。
あとは都会だけでなく、心の休憩がてら、田舎にも足を運ぶことをお薦めします。
確かに人間の文明は飽和に向かって進んでいくというのは1つの真実でしょう。人間の集団を欲望、煩悩を持つ個体の集合とみなし、統制の対象と考えるのは、政治家の大事な視点です。
でも視点をずらしてみてもいい時もありますよ。人は社会的立場をわきまえてふるまう前に、ただの人間でしかないのですから。
田舎にいけば、人の営みや月並みな悲喜こもごもはそう変化しておらず、地道な日々を過ごす数多くの人々に触れることが心を洗ってくれるかもしれません。
例えば農家で働く人々、漁師たちの焼けた身体は、煩悩の塊でしょうか?彼らの身体の部分部分を眺めるとき、それは生きる姿そのものだと感じるときが僕にはあります。
人は必ずしも欲望の塊とは限りません。日々を淡々と生きる多くの人々のことを、その人々にとって守ってきたものがそれぞれあるということを忘れないように。
>未来を託すべき自分の子供を虐待する児童虐待の増加なども異常な事態です。
これもちゃんと数字的な裏づけを示してください。そして「異常」の一言で片づけては駄目だと思います。それこそ読んでいる人の不安をあおるだけです。
人間の行動は論理だけではまるで片付かないものの、必ず理由があるはずですし、虐待にしても表に出なかっただけで古来から形は違えどあったことだろうと僕は思っています。犯罪もそうです。法による裁きは世のためのルールです。人間のいわば理性を具現化するものの1つとしてとても大切なことでしょう。
けれども法は人間の本質の全てを提示してはくれないでしょう。その人間の「自らの統治」なのだから難しいに決まっています。
Posted by: : 2010年3月 7日 23:49牧原先生、こんばんは。
初めまして。
結局のところ、諸問題の解決に役立つのは道徳なのではないでしょうか。
明治の実業家澁澤榮一は国をとませるには、商業が必要と考え官僚から実業に身を投じましたが、拝金主義ではなく、論語に基づく商道徳を訴えました。
明治の軍人乃木希典大将は、当時思潮が見えだした社会主義について『人間の平等を宗とする考えである』と説明され、武士道の方が優れていると述べられました。理由は武士道が人のために生きる道だからです。葉隠の一説『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』の『死ぬ...』の前に『人の為に』が隠れているとお考えだったのかもしれません。達観の極みです。日本人全員がこの様に考えていれば、確かに社会主義も共産主義も怖くはありません。
現時点で、民主主義以外に人間を社会を統治するよいシステムは無いようですが、武士道を備えた日本人が民主主義を行えば良い結果を生むかもしれませんね。
またお邪魔致します。失礼致しました。
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