必ず!

2010年5月23日 22:35 | ブログ

鳩山総理がとうとう沖縄に行って結論、すなわち辺野古の埋め立て案、再度の環境アセスをしなくて済む範囲に移設をする、ということを発表された。鳩山総理が読み上げていた内容は非常に素直で、思いも良く分かったが、それは私たち一般議員でも普通に分かっていたこと。逆にいえば、その程度もことも分からないで「県外移設」とか「腹案がある」とか言っていたのか、と悲しくなった。

国会議員、という立場に求められるのは一体何なんだろうか?政党に求められるのは?「公約実行」というポスターが民主党埼玉県連本部をはじめ、あちこちまだ残っているが「公約」の実行か?

先日ある方に「埼玉5区で出る限り何を言ってもどうせ議員になれないんだから無駄では?」というご指摘を受けた。私が申し上げたのは、確かに選挙だけを考えたら私と相手の方との勝負であり、選挙前にはそう申し上げたこともある。政党対政党ではなく見て欲しいという思いからだ。

しかし、仮に個人の勝負だとしても、全国的にも、知名度、キャリア、テレビ出演、左派的な地盤、選挙のうまさなどなど、非常に厳しく、横綱に挑む若手十両力士みたいなものだ。また、国会議員722人いる中でも、私とは経済政策や治安政策、国のあり方などでまさに180度違うが(経団連こそ国民の敵だ、キャノンはとんでもない企業だ、警察は信用できない、とか過激な思想の持ち主)、大変な方であって、他の民主党の方とやるほうがはるかに国会から追い出してやろうとやる気も出るのも事実だ。

しかし、吉田松陰や坂本竜馬など歴史に名を残した先人は決して長い間権力の中心で活躍をされた方ばかりではなく、一瞬の光だったことも多い。逆に長い間議員をやって、結局「自分のためだったのか」と歴史には何も残さなかった方も多い。私は一貫して申し上げているように、国会議員になることが目的ではなく、あくまで愛する祖国日本が、私の存在によって未来の世代にとってより良いものとなり、国民の皆様がより幸せになればいいと思っているだけだ。

そういう意味で、あまり相手の方との個別の勝負だ、という感覚はなく、歴史に恥ずかしくない活動をしたいという思いが強い。つまり自分自身との勝負である。だから選挙に勝てないからと言う理由では、お世話になった皆様に背を向けたり、子供たちの故郷を離れたり、政党を変えたりということはできない。無論、政策的な理由や歴史的な理由ならありうるが今のところそこを見出すことができない。だから、確かに議員じゃなければただの人であり、多くの方のあざけりや侮蔑も受けるだろう。

でも世の中にお金や選挙や名誉などだけでは動かない政治家がいてもいいではないのだろうか?あえて困難な道に挑戦する政治家がいてもいいのではないだろうか?一瞬かもしれない(そうしないが)その瞬間に輝き、この国のために活動ができるよう頑張りたい。それは単に選挙向けの言葉を連発することではなく、ひたむきに勉強し、経験し、あらゆる能力や感覚を身に付けることだと私は思っている。


コメント

素朴な疑問ですが議員でない期間の生活費はどうやって賄っているのですか?自己研鑽も生活が成り立ってこそではありませんか?仮に次回の選挙も落選し無一文になったら職業を選んでいる場合(議員に拘っている)ではないのでしょうか?牧原さんを否定しているのではありません。お考えが理解できなかったので質問いたしました。

Posted by: 大学生 : 2010年5月27日 19:38


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