43歳海上保安官と仙菅
昨日のブログにもさまざまなご意見を頂き、今日の報道もなぜだか漏れる捜査情報一色だったため、43歳の海上保安官のことを考え続けた。
職場でも真面目だったとされ、ご家族もある方が、こういう行為に及ぶにおいてはその結果はわかっていたはずだ。以前から申し上げている通り、ネットの世界は一見匿名性があるようで、実は全部を把握されている。いわゆる掲示板的なサイトだって、調べれば誰が投稿しているか全部わかる。しかも、今回もGoogleが情報提供したように、元となる会社はもっと把握しているし、情報機関や捜査機関がやれば、町中に散らばっている様々な情報ツールを使って分かってしまう。だから、覚悟はあったと思う。
その行為は、「法律的」や「職務的」にいえば許されるべきことではないだろう。情報漏えいはいろいろな意味で政府への信頼性を失わさせる。「情報」の重要性は以前から申し上げ散る通りだ。だから、別に私は「逮捕や捜査をするな」などと申し上げるつもりはない。この後、「秘密性」などの法的論点を精査したのち、「起訴すべきかどうか」、そして起訴されたのちは「有罪かどうか」「どの程度の刑にすべきかどうか」などの判断が司法手続きに乗って行われる。
しかし、今回は「外交上」やその他の配慮を理由に不起訴にしないのか。あのビデオや犯罪行為を一生懸命隠そうとした仙石氏やそのお仲間たちは何のお咎めもないのか。そのことに法律家という立場ではなく、一国民として義憤を禁じ得ない。そして、あれだけの犯罪をVサインをさせてまで見逃したこととの司法的不公平さも弁護士としては許せない。
彼に人生を賭けてまで「内部告発」をさせた官邸のトップが、自分たちの非はさておいている姿は何ということか。彼はこの責任を取って海保の職員としての地位を失い、自らの行為の責任を取る。しかし、菅総理や仙石氏は全部検察のせいに擦り付け、その前の鳩山氏や小沢氏は秘書のせいになすりつけ、選挙に負けた前幹事長や選対本部長も全く責任を取らない。
今は、弱い者だけがばばを引く社会になった、ような印象を受ける。少なくとも私はそんな社会は嫌である。弱い者こそ政治や司法がしっかり守り、法の適用に不平等がなく、政治家は責任と覚悟がある、そんなことはあくまで理想に過ぎないのだろうか?
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