政治理念(2)-システムをゼロベースで考えるとき

2012年1月28日 23:07
日本の政治について、戦後の総理大臣たちと比較すると、ダメになっている理由がよく分かる。

1.吉田茂ー元外務事務次官 政治家になったのは66歳で外務大臣
2.池田勇人ー元大蔵事務次官 政治家になったのは50歳で大蔵大臣
3.佐藤栄作ー元運輸事務次官 政治家になったのは47歳で官房長官
4.福田赳夫ー元大蔵省主計局長 政治家になったのは47歳

などなど。田中角栄氏も29歳で議員になっているが、働き始めたのが16歳のときからなので、13年間は下働きをし、会社の設立も行っている。

つまり、政治主導とは、政治家の方が力があり、まさしく官僚や政策をリードできるから「政治主導」になるのであって、勉強不足で経験不足の方が声高に「政治主導」を叫んでも、それは何の意味もないし、むしろ危険である、ということを私たちは思い知ったということだ。

他の国から見ると、日本は実に不思議な国である。経済を知らない人が経済担当大臣をやり、防衛を知らない人が防衛大臣をやり、財務を知らない人が財務大臣をやる。自民党時代にもそういう傾向はあったが、特に政権交代後は、大臣というのは政治家にとって名誉と、選挙と、利権と、「お勉強」の場になってしまっており、人材不足も甚だしい。今の野田内閣は特にそれがひどく、一人も専門性のある人がいない。

私は、その分野のトップは、我が国の政官民を問わず、ベストな人材が務めるべきだというのが持論だ。就任後、レクという「お勉強」のために官僚や民間が費やすエネルギーは膨大である。しかも、ようやく一人前になってきたら、大臣は変わり、官僚も異動する。つまり、「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで散歩戻る」の繰り返しをやっているのが、永田町と霞が関の実態である。

これを打ち破るには、大統領制が一番良い。大臣と官僚のトップは大統領がベストだと思う人材を民間からも自由にピックアップできる。むろん、大統領自身の質によるのだが、私はもうそういう方向性にシステムを変更していく時代になったと思う。

憲法改正や天皇制との問題もあるだろうが、天皇陛下の御存在はそのままで、日本独自のモデルを構築できるはずだ。他国をまねる必要は全くない。中途半端にイギリスモデルを真似て大失敗になっている現状を見れば、いかに猿真似が危険かが分かる。

時間はかかるかもしれないが、まずは首相公選制、そしてできるなら大統領制への移行まで真剣に国民的に考えるときになったと思う。


トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:


コメント

政治理念(2) であるが、理想では首相公選制はありだと思うが、大統領制は日本ではなじまないと思う。

大阪市、名古屋市、東京都のように首長と議会の過半数が同じ会派でないとやはりなかなか諸問題が決められないことがあるので、国は衆議院の過半数の会派から首相を選び、参議院は廃止して一院制のほうがシステムを変えるには、現実的であると思う。

Posted by: あたしんちのおじさん : 2012年1月30日 12:01


コメントする






名前、アドレスを登録しますか?

コメント:






<< 消えた議事録問題 | 大切な第3極の動き >>